すべての始まりは「運動不足」だった
すべては、多くの現代人が抱えるであろう単純な悩み「運動不足」から始まりました。
パンデミックによる在宅勤務の定着は、私たちの働き方に柔軟性をもたらしましたが、同時に「一歩も外に出ない日」を生み出しました。このままではいけない。そう思い、私はひとつの習慣を始めました。それは、ただ「歩く」ことです。
この習慣を一年ほど続けてみて、気づいたことがあります。
漫然と歩くだけでは、目標の歩数を稼ぐことは意外と難しい。歩数を稼ぐためには、「よし、歩こう」と意識的に机を離れ、外に出るという「積極的な行動」が必要だったのです。
この「机を離れる」という行為を習慣化するプロセス。それが、私にとっての「きっかけ作り」となり、そして新たな「悩み」と「問い」の始まりでもありました。
仮説:「アイデアは、机以外で生まれる」
パンデミックを経て、働き方はオンラインとオフラインに分かれ、今また「オフィス回帰」のような揺り戻しも起きています。そんな環境の変化はさておき、私は自分自身に起きた「ある現象」と真っ向から向き合うことにしました。
それは、「散歩したり、机を離れたりすると、考えが整理される」という、エンジニアとしても昔からよく経験していた感覚です。
ここに、私は一つの仮説を立てました。 「アイデアの『種』や思考の『整理』は、PCの前に座っている時ではなく、そこから離れた場所でこそ生まれるのではないか?」
これが、私の中で「Sanpouのイシュー(散歩の課題)」と名付けたプロジェクトの始まりです。
この問いの先に、二つの疑問が続きます。 「この感覚は、自分特有のものなのか?」 「それとも、程度の差こそあれ、皆も同じ結論に行き着くものなのか?」
もし、この答えが出れば、このプロジェクトは一つの区切りを迎えます。
生成AI時代に問われる「知的生産の本質」
この「Sanpouのイシュー」を突き詰めていくと、知的生産の本質にぶつかります。
私にとっての知的生産の本質とは、「インプットした情報を、自分の言葉で噛み砕き、自分の中に落とし込む行為」そのものです。
そして、生成AIが大衆化した今、この本質はさらに重要な意味を持ち始めました。AIが一瞬で「それらしい」文章を生成できる時代だからこそ、「自分自身のユニークな思考や発見を、いかに早く『書いた言葉(テキスト)』として固定化できるか」が、個人の生産性に直結するのです。
AIはまだ、あなたが体験したことや、あなた独自の視点から生まれる「一次の気づき」を生み出すことはできません。その価値は、むしろ高まっています。
「ぼーっとする」時間と「書き留める」技術
では、どうすればその「一次の気づき」は生まれやすくなるのか。
私の経験則では、それは「ぼーっとする」時間です。 音楽やラジオ、もちろんSNSアプリも使わず、ただ自分の頭だけで考える。散歩は、そのための最適な「装置」でした。
しかし、ここで最大のジレンマが発生します。
せっかく浮かんだアイデアも、それを「使える形式」にまで持っていくには、即座に「書いた言葉」としてテキストに落とし込むことが不可欠です。
紙のノートや手帳を持ち歩くのも一つの手ですが、デジタルの便利さに慣れた現代人にとって、それは不便でもあります。歩きながらペンとノートを取り出すのは、なかなかの重労働です。
かといって、普段使っている多機能なノートアプリを起動するのも、違います。 アプリを開き、どのノートブックに入れるか考え、リッチテキストエディタが立ち上がるのを待つ…。その数秒の間に、せっかくのアイデアの「輝き」は失われてしまいます。
結論:アイデアが「生まれた瞬間」に特化したUX
この時代、誰もが何かしらのノートアプリ(Notion, Evernote, メモ帳…)を使っています。私は、彼らに「今すぐそれをやめて、これに切り替えてくれ」と言いたいわけではありません。
最終的にノートを整理し、体系化するのは、これまで通りPCやスマホで、お気に入りのアプリでやってもらえばいいのです。
私が作りたかったのは、それら既存アプリの「ラッパー」として機能するものです。
「アイデアが脳裏に浮かんだ、その瞬間。その勢いのまま、書き殴るところまで」
これだけに特化したUX(ユーザー体験)を設計できないか。
- 起動したら、即、入力画面。
- 余計な機能は一切ない。
- 書いたテキストは、後で簡単にメインのノートアプリに転送できる。
- そして何より、データは一切デバイスから外に出ない(ローカルファースト)。自分の「思考の断片」という最もプライベートな情報を、誰にも渡さない。
おわりに
運動不足を解消するために始めた散歩という習慣が、巡り巡って「知的生産の本質」と「現代における思考のキャプチャ方法」という問い、そして一つのアプリの構想にまで繋がりました。
机を離れて考える。 そして、浮かんだ瞬間を逃さず書き留める。
このシンプルな行為こそが、AIと共存するこれからの時代を生き抜く、私たち人間の「武器」になるのではないか。
この「Sanpouのイシュー」という名の問いは、まだ終わりません。 あなたも、歩きながら「考えて」いませんか?