夕暮れや

夕暮れや
青橙を
裂かん雲
波の向こうに
地這い星かな

夕暮れや
青橙を
裂かん雲
波の向こうに
地這い星かな

暑い、晴れていて空梅雨。
エアコンをつけているとどうしても機械音ばかり。
耐えられなくはないくらいの温度なので全体的に窓を開けて風通りをよくしてみている。
気持ちがいいくらい緑が窓から見える。
自分で作った机の上
窓越しでちょうどいい高さにあってpcをおいて作業できる。
自分の家の中で好きな場所があれば帰ってきたくなる。
清澄亭で庭の横で作業していたことを思い出す。
緑のカーテン。

陽暦15年(西暦2065年)のこと。
地球温暖化予想2050年シナリオは最悪のケースをたどったため、2047年中旬、国連総本部は迅速かつこれまでにない世界的な協力が必要と声明を表示した。日本はその一環として新しい年号を定め、2050年より年号を改める方針を打ち出し、世界中の共通年号として共有された。
東京には色がない。冷凍都市と、名付けた人の声を聞いたことがある。黒や灰、白に囲まれている、そう、冷たく、色がないことに気づくのだ。目の前や足下をみてみれば、自分もその色気のなさに紛れているような気がしなくもない。近頃、レンズ越しの僕の日常は、黒や灰、白に囲まれていた。
しかし少し距離をとってみて気づいた。地図を少し高いところからみてみれば、どれだけの緑や青がこの町を囲んでいるかに。ひとまず夕焼け雲を見上げれば、どれだけ空が暖色に包まれているのかに。
そして彩色豊かな食文化。現物、原材料は小さな形に姿を変えて、遥か向こうの島から旅をしてきた。ここは美食の街でもある。
サステイナビリティという、羽のように軽くてふわっとした、形のないオブジェクト。いく何時も特別な想いを馳せながら、これをあの手この手で掴み取ろうとしてきた。あるときは掴み取ることのできる形ある「ときめき」を覚えたり、はたまた欺く様に指先の間をすり抜けてしまうこともあった。
物心をついた時からずっと、何度も見返せずには居られなくなった。だって、美しいものは時折、眺めてみたくなるんだもの。ずっと放っておいて、どこか他の場所へ道草を食っていけなくなる。
不思議なことに、それが何だって、一つに定義することはできない。でも、掴み取ることのできた例をいくらか列挙できる。燃料の爆発を抑えんきれんばかりに走る、獰猛な内燃機関車の横で、静かな三相交流で加速し瞬く間に走り抜ける電気自動車を見た時。無機質で人工的な色を帯びたプラスチックの歯ブラシに代えて、木の香りと共に柔らかく歯肉を撫でる竹の歯ブラシを使った時。一度形作ると消えないしわを寄せる使い捨ての包装紙に代えて、何度も使える強さとユニークな顔を持ちあわせた風呂敷で贈り物を包む時。
英語は今や、我々日本語話者にとっては特に、未知の世界を見ることのできる色眼鏡となりました。その言葉一つが、見えなかった、知らなかった様々な世界を視覚化してくれます。英語は実世界のみならず、インターネットの上でも世界共通語のようです。世の中を行き来する情報の多くは英語で伝達されます。生活、ビジネス、政治、外交、教育、芸術。言葉という視点で万物を見ると、着地点はありとあらゆる現象に帰結するでしょう。
経済大国日本で、日本語を操る人が英語を使える場合と使えない場合では、接触可能な人脈、情報、視座が大きく異なります。今や世界各地の先人の多大なる努力、功績の結果、僕たちの文明の礎は築かれたと思います。温故知新と人は言うように、これらを上手に正しく活用し、その恩恵を最大限に受けることは賢く生きる術ではないでしょうか。今を生きる人との共生、切磋琢磨し、種としての繁栄を築き上げるにも、そのもっとも基本となる「人と人の会話」は必須です。 英語と日本語は全く異なる言語です。日本語が母国語の人にとって、第二か国語として英語を習得することは簡単ではないですが、不可能では全くありません。だからこそ、中学と高校で長い間英語を勉強する人が多い日本で、英語を習得せずに終わる現状は疑問を抱かざるをえません。これは間違った学習方法を選ぶ人が多くいる結果ではないでしょうか。そう思う理由を言及するにあたって、まず英語とは何かについて話す必要があるでしょう。
会話における非常に基本的な概念に、「出力」と「入力」があります。会話とは、「話し手」と「聞き手」がいて成り立ちます。言葉は会話の手段であり、この両側を繋ぐものです。これが今回は、英語です。